わたしがもし遠い将来にわたって子孫を残したとすると、読者のみなさんの一人が、ある子孫の共同の祖先となる人がいるだろうということです。
ヒトはアフリカで起源し、世界に広がっていきました。
ということは、世界中の人々の遺伝子を祖先までさかのぼっていけば、かならずどこかである一個体にたどり着くはずです。
どの遺伝子を調べるかによっていつごろたどり着くのかが異なってきますが、どこかに共通祖先遺伝子があるはずなのです。
ただし難しいのは、先ほども述べたように、遺伝子が伝わってくるのに可能な経路が父方と母方のふたつあることです。
さきほどは類人猿という、数百万年前に共通祖先をもっていたと考えられる他の種との関係を、ミトコンドリアDNAから推測しました。
実は、人類集団のなかで遺伝子の系図をたどっていくときにも、ミトコンドリアDNAは役に立つのです。
ミトコンドリアDNAには突然変異がたまりやすく、時計の短針として使えるということはすでに述べました。
人類の進化もせいぜい数百万年のことですから、このような短い期間の変化を調べるのには有用なものといえます。
さらに、ミトコンドリアDNAの役に立つ点として、母系からしか遺伝しないということがあります。
生殖のときには精子が卵子に受精して、新しい個体ができていきます。
精子も卵子も細胞ですから当然ミトコンドリアをもっているわけですが、精子のミトコンドリアは受精の際に、尻尾と一緒に捨てられてしまうのです。
このように、父親のミトコンドリアは決して子孫には伝わりません。
わたしたちがもっているミトコンドリアDNAはすべて卵子にあったもの、すなわち母親から伝わったものであり、母親のミトコンドリアDNAもその母親のみから伝かったものです。
これはつまり、世界中の人のミトコンドリアDNAは母系のみをたどってさかのぼっていけるということを意味しています。
すると必然的に、どこかの時点である一人の女性に行き着くはずです。
A氏をはじめとするK大学B校の研究グループは、アフリカ人、ヨーロッパ人、アメリカ先住民、オーストラリア先住民、アジア人など世界中のさまざまな人類集団の女性の胎盤からミトコンドリアDNAを採取し、その塩基配列の違いを比較しました。
配列が似ているものを枝分かれの図によって示す方法はややこしく、ここでは詳しいことは説明しませんが、最も確からしい枝分かれの図はおおよそ次のようになりました。
まずアフリカ人の大きな枝ができます。
別の大きな枝はさらにアフリカ人の小枝と、さらに一部のアフリカ人、そしてヨーロッパ人、アメリカ先住民などのそれ以外の人々が含まれる枝に分かれます。
つまり、アフリカ人の配列の多様性が最も高かったのです。
これが何を意味しているのかというと、すべての現代人のミトコンドリアDNAの祖先はアフリカ人に起源しているだろうということです。
人類がアフリカ起源であることは化石からも示されていますから、ミトコンドリアDNAがアフリカ起源であることはそれほど意外ではありません。
問題なのはその共通祖先にたどり着く年代です。
分子時計の考え方から、現在みられるようなミトコンドリアDNAの変異が蓄積されるのにどれだけの時間がかかったかを推定すると、なんと一五万年から二五万年ということになるのです。
ホモーエレクトゥスがアフリカを出だのが一〇〇万年前くらいであり、このころにはすでに人類は多様に広がり、多地域進化説によればそれぞれの地方で独白に進化していたはずです。
それがなぜ、せいぜい二五万年前のアフリカにいた女性にたどり着くのでしょうか。
この結果から考えられることは、一〇〇万年前のアフリカからの拡散の後、ホモーサピエンスがもう一度アフリカから他の地域に広がっていき、そこにいたエレクトゥスの子孫と入れ替わったというシナリオです。
この単一起源説には、気をつけて受け止めなければいけない点がいくつかあります。
ひとつは分子時計が本当に正しいかどうかです。
突然変異の起こる頻度が違ったとすると、共通祖先は一〇〇万年前くらいまでさかのぼることになるかもしれません。
そうすれば多地域進化説との矛盾はなくなります。
もうひとつは、この共通祖先ミトコンドリアDNAをもっていた一人の女性が、全人類の最も近い共通祖先であるとは限らないということです。
この女性は全人類の、純粋に母系をたどっていったときの最も近い共通祖先ではありますが、共通祖先にたどり着く道は母系だけではありません。
さきほどみたように、それぞれの世代一人について二人の親がいるわけですから、母系以外の経路で共通祖先にたどり着く可能性の方が高くなるのです。
また、ミトコンドリアDNAは小さく、ひとまとまりで遺伝するので共通祖先はひとつだけですが、核DNAはそうはいきません。
染色体にある遺伝子で、ひとまとまりのセットで伝わるものは数万を越えるといわれています。
ということは、数万の遺伝子それぞれについて、共通祖先遺伝子をもつ個体がさまざまな時代に存在していることになります。
決して人類の祖先が一人や一家族に行き着くということではないのです。
多地域進化説と単一起源説のどちらが正しいか、まだ議論は続いています。
しかし最近、エチオピアで発見された約一六万年前のものと考えられる現代型ホモーサピエンスの化石についての報告がありました。
この骨には眼高上隆起が大きいなどといった古代型ホモーサピエンスの特徴も残っており、おそらく分岐したばかりの状態だと考えられています。
この発見は、現代型ホモーサピエンスがアフリカで進化したという説を裏付けるものです。
現代型ホモーサピエンスは、登場以降非常に速いスピードでさまざまな変化を経験しました。
六万年前には、現代型ホモーサピエンスはアジアからオーストラリアへと分布を広げています。
さらに一万五〇〇〇年前にはシベリアを経由してアラスカからアメリカ大陸へと移っていきました。
最近ではアメリカ大陸への進出はもっと早かったということもいわれています。
さらに人類は一万年前には農耕牧畜を始め、環境を能動的に変えていくということを始めます。
一万年前というと人類進化の六〇〇万〜七〇〇万年の歴史のなかではつい最近のことですね。
割合にすると人類進化史全体のわずか〇・ニパーセント程度の期間です。
しかしそのあいかに人類は急速な生活環境の変化を経験し、現在に至っているのです。
重要なのは、このあいだ解剖学的な変化はほとんどなかったということです。
人類の系統を、その解剖学的な特徴を中心にしておおまかにたどってきましたが、では、初期人類はどのような生活をしていたのでしょうか。
現代人の行動を理解するには、初期人類がどのように環境と関わってきたのかを明らかにしていく必要があるのです。
ところが、社会や行動は化石のようにかたちとなって残りません。
そこで、間接的な証拠から推測していくことになります。
方法のひとつは、異なる種との比較です。
すなわち、現生霊長類のさまざまな種を比較することで、共通祖先が何をもっていて、何をもっていなかったかを類推していこうというわけです。
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